鰤切手

旧初めての理系編入。編入から無職まであなたのお供をします。

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実家を恨むのをやめた

突然だけど昔の話をさせてほしい。

 

時はさかのぼること小学生、今の実家に引っ越してきた。母曰く「転勤族で引っ越しに付き合わせるのはかわいそうだから一軒家を立てた」とのこと。父曰く「川の綺麗な場所に住んでみたかった」とのこと。

だがそこで待っていたのは綺麗な川とは真逆の、泥のたまり場のような境遇。

学校にはなじめない、近くにお店も施設もない。家にいてもどこか行けと言われる。逃げ場がどこにもない生き地獄であった。

なんでこんなところに引っ越したのか、前いた学校のほうがましだった。と、どこにもぶつけられない虚無感を背負っていた。

無理やり入れられたスポーツ少年団のサッカーも運動神経がとても悪かったのでしょっちゅうベンチスタートだし、出場しても大した活躍ができないから「頼むから足引っ張るのやめてくれない?」と言われる日々。この状況から抜け出したくて中学受験させてくれと必死に頼んだが、金がないとあっけなく却下された。

 

中学校も繰り上がりだった。教師と生徒が手を組んで、濡れ衣着せられたこともあったし、担任から「お前はこのままでは生きていけない」とも言われた。相変わらずの状況だった。が、消去法で入った吹奏楽部がとても楽しかった。仲間外れにされないし、みんな初心者スタート、役割もみんな違うので、「足を引っ張るな」と言われることもない。当時の自分にとって最高の環境だった。吹奏楽部のおかげで生きることはできた。

 

時は流れ高校生。周囲の環境が変わるので自分の過去の経歴を知らない人しかいない。引っ越してきたということも皆知らない。おかげで友達は難なくできたし、学校に行くのも楽しみになった。充実しすぎて卒業式で泣いた記憶がある。

ただここでも実家の場所のせいで遊ぼうにも電車賃がかかるせいで遊べない、仲のいい友達が「じゃあこの後駅前で外食しようぜ!」と言っているのを横目に、一人寂しく別の方向に帰っていた。高校の時から「もうちょいましなところに家建てればよかったのに!」と親に当たっていた記憶がある。

 

時は進み、大学1年生。筑波大には落ちたので都内の大学に通うことになった。当然高校の時と同じことが起きる。より顕著に。

~放課後の部活が終わったあと~

「つゆき!この後遊ばない?」

「・・・ごめん終電があるから・・・先帰る」

~ある日~

「すみません、全員参加必須の飲み会なんですけど終電で途中で抜けます、すみません」

「そっか、けど人付き合いも大事だからね」

こうやって毎回夜遅くまで遊ぶという大学生イベントを断らないといけない状況が続くのでより親に文句を言うようになった。そして断り続けると人間関係が徐々に薄くなっていく。結果、気づいたら編入試験の勉強を始めていた。最初は「友人といた方が楽しい」と考えていたけど、その気持ちよりも筑波に行きたいという気持ちが上回ってしまった。結果として今は充実しているので良かったことかもしれない。

実家を恨む気持ちは以前にも増していた。

 

内々定を取り消されたので軸を再考しようと就職課に通っていた時のお話。

「君不思議だよね、昔ひどい目にあっているのになんで人を信用するの?」

「・・・分からないです」

面談が終わった後もその言葉が頭から離れなかった。思い当たるのは中学の吹奏楽部の出来事だけど、そんな人の性格ってすぐ変わらないはずだし、ではなぜだろうかと記憶をたどっていたけど、気づいたら仮死状態で生まれた自分の話までさかのぼっていた。

仮死状態で生まれた時に病院の先生から「息子さんですが、障害をもって生まれてくると思います。そのあたりは覚悟してください。」と言われたらしい。奇遇にも翌週実家に帰る機会があったのでふと思い切って聞いてみた。

「障害者かもしれないって言われたのに何で育てたの」

「それは母親としての使命だけど、きちんと目を合わせてくれるし、先生の言葉はきっと嘘だと思った。だからきちんと育てただけ。案の定嘘だった。」

 

そのときにやっと話がつながった。たくさん愛情を注いで育ててくれたからこれまでさんざんひどい目にあっても人を信頼できた。人を信頼しているから素直でいられるし、素直でいるから周りの人たちも素直に接してくれる。なるほどねぇ。床屋の紹介で内定を得た就活の件とか、すべてがつながった。

少しだけうるっと来たのを覚えてる。いい加減過去を恨むのはやめようかなと少し考えた。

 

この間のサークルの追いコンにて

最後のスピーチみたいなところで何を話そうか悩んだ、サークルへの感謝か?好きなバンドができたことへの感謝か?でもみんな飽きるしなぁ、あ、最後だしみんな勇気づけよう。

「バイト16個不採用になろうが、バイト先首になろうが、30社落ちた挙句、内々定取り消されて3月まで就活しようが、どうにかなります!きっと周りの人がどうにかしてくれるお手伝いをしてくれます!」

そのあと卒業生ランキングで「社会に出てはいけないランキング」で一位を取ったあとのコメント

「僕、大学受験も失敗したし、何なら小中学校行ってなかった時期もあったけど、こんな人間でも社会に出れちゃうんで皆さん安心してください」

 

すっきりした。いい表情だったと思う。やっと自分の素をさらけ出せた。もうこれ以上過去の境遇を恨まなくても自分は生きていけるんだとほっとした。

 

最後の学生相談室で

「あ、最後に一つだけ!・・・実家恨むのやめました。二度と振り返りたくない思い出ばっかりでしたけど、小中学校でトラウマを受けるなんて予想はできないし、きちんと母親が愛情を注いでくれたから人を信用する人間になれたと考えるともう恨む必要はなくなったのかな・・・と・・・はは。」

「・・・いい男になったね・・・。」

涙が止まらなくなっていた、いろんな気持ちが自分の中であふれていたのを覚えている、これまでの実家の恨み、両親への感謝、周囲の人のお礼、これまでの自分の愚かさに対する懺悔。就職する前に過去の自分を受け入れられた気がする。本当によかった。僕に携わってくれた皆さんありがとう。

 

 

最後に

きっとこのブログの読者にはもっと僕より深い傷を負っている人もいると思う。それを受け入れろってまず無理だから、ゆっくり時間をかけて受け入れられるようにしていこう。気持ちが楽になるときがくる。ぼくはそれがたまたま就活と追いコンがきっかけだっただけ。

「こんなところから抜け出したいから編入を受けてやる!」もいいかもしれませんが、過去を受け入れるのも一つの手です、また別の正解が見えてくるはず。